あまり学校名を出すのは、はばかっていたのですが、(自分の素性がばれると何かといいたいことも言えない性質なので)あえて学校名でタイトルをつけようかなと思ったのも、感情のわだかまりを少しほぐそうと思いました。それほど、昔の事になったといってもよいかもしれません。
中学校までは、国語はあまり勉強しなくても出来ていたのですが、高等学校は漢文、古典と辞書を引く機会も多く、英語並みに悪戦苦闘する毎日。なおかつ資料も乏しく、発想やイメージが自然とわいてこず苦痛な科目になりつつあったのを思い出します。それでも、偏差値的には合格圏内だったため、或いは勧められたため、5,6校受けるうちのひとつとして受験したのを覚えています。
以前にも書きましたが、偏差値はあまり高くなく、なおかつ今やお嬢様学校といわれるほど、教養を身につける学校といいますか、いわゆるOGの就職率があまりよくないというか。キャリアを積むための学校ではなく、また、そういうニーズにこたえている学校でもなかった。というのが私の居た頃のこの学校だったように思います。
しかし、私も含めて、皆、自分の能力を伸ばそうとしていたのはそうだったかもしれません。
しかし、私はこの学校の授業についていけないというか、面白くないというか。理解するのが難しく、感性が合わないよなーと悩み、2年の頃、早稲田の比較文化学部を受けなおそうと、真剣にあるいは半分怒りも感じつつ、赤本を買ったように思います。それほど、私にとっては卒業後の先が見えてこない、国文ってそういうところがあるんですよね。
しかし、英語も、国語もそこそこ、本当は勉強しておきたかった、理系の勉強も苦手ときていては、高校の勉強からやり直さなければならず、とてもじゃないけど独学では無理だなと、諦めたのも思い出します。それほど、何かなじめない、そんな砂をかむような思いをしたのもこの学校でした。それでも卒業できたのは、あるいは教授陣が尽力して、それなりの授業をしてくれていたのか?よくわかりませんが、感性もありますし、まあ、点数が甘かったのかもしれません。
そんな私なので、同窓会にも行く気になれないのですが、社会人1,2年目の頃は、その頃の友人が福岡に遊びに来たり、年賀状や手紙のやり取りも、少しはしていたように思います。或いは町でばったり会ったりなど、結構世間は狭いなと思ったりしたものです。しかし、仕事場には同窓生はおらず、なんとなく寂しい思いをしていたのはそのとおりで、そんな気持ちも忘れた最近、近所に、旧知の人と顔が似ている人がいるのをみて、今や本人か確認する気にもなれないのですが、ちょっと、不愉快なのと、それがなぜなのか?相変わらず、消化されない、不安や恐怖心、そして苛立ちをぶつけるべく、ブログに向かう事になりました。
以前にも書きましたが、同姓同名が私の世代は多いのか、あちこちで間違えられたり、誤解されたりする中のひとつに、育成会の会長と同姓同名というのがありました。同じ地域に住んでいて、なおかつ同年齢、そして、広報誌や地域回覧板に掲載される際は、町名しか明記されないため、誤解されかねない記載で頭を悩ませていました。或いは、勝手に名前使われているのか?そう思えなくもない、そこらの主婦や子供の反応に悩まされて早数年。いいかげんにしろおまえら!!!というのがホンネです。
まあ、そんなモラルハザード人間の多いこの地域、あきらめてにらみつけて、がん飛ばしています。そうでないとやっていけない、なめられているらしい、それはわかっていたけど、いい加減疲れるし、迷惑な話です。
本当は、気にする必要のない事に引っかかっている自分が、いま、一番どうしようもないのですが、この学校も国文科がなくなり、人間関係科、生活学科、英文科、音楽科そして、諫早に看護学校を作ろうとしています。これから先、医療関係は人材のニーズがあると考えたのかもしれません。そして、それは福岡の他の女子大学もおなじのようで、時代の流れのようです。
複雑なのは、これから私は新たに資格を取って、就職活動をしていくべきなのか?再度学校に通わなければならないのか?そんな事を考える際、私の大学4年間はなんだったんだ?とそして、医療系で稼げる後輩が出てきた際、すごく腹立たしい気分になるのではないか?そういう感情でしか今はない事が、自分のこれから先の苦境をよく物語っています。
医療機関にかかる事は、無理を強いられるかもしれない私にとっては大いにある事で、そんな時に会いたくはないよなーしかし、どこの大学卒業か?なんて、よほど仲良くならないと分からないだろうし、気にする事もないだろうけど、そのたびに脳裏を掠める、余計な邪念が嫌でたまりません。
ビジネス、ことに日本で企業や会社に勤める際、常識とも言われている簿記を習いに通っていた専門学校では、税理士講座も開講されており、覗きはしましたが、法律、経済、商学を修めているほうがより有利で、或いはいい仕事をするには、必須と思われるのがこの3学部、今から履修するには骨が折れそう、実務経験や簿記1級の資格所有者で初めて一人前、という事らしいこの職務。やはり世の中甘くないよな、今の私では無理だよなー。と、途方にくれつつ、文学部の勉強が活かせる仕事ってなんだろう?と再度、考え直します。
そして、そんなことを気にしているので、近所の主婦に旧知の友人と似た人がいると、思い出されてしまい、なんとなく、それが友人ではないので、頭にくるのかもしれません。
世の中似た人は多いですから。
しかし、時代も悪いのかもしれませんね。
そして、その旧知の人の一言が思い出されます。「ばかにしないで!」
そして、その人が良妻賢母になっているなら、今回の子供手当はどのようなことにご使用になるのでしょう?
そして、国債発行あるいは、皆様の血税を計算する仕事に就くべきか悩むのも、納める側の気持ちに寄り添いつつ、妥当な金額を納税していただくための仕事がどれほど大変なもので、仕分けも結構難しいというのがこの私でも、なんとなく分かるからです。
ばかにしないで、とは確かによく言ったもので、私は彼女のことを、或いは活水の事をどこかで馬鹿にしていました。そして、実際、馬鹿だという評価をうけるようなフィールドで働いています。それは活水というブランドをしょった私が、結構馬鹿にされるからかもしれません。活水ブランドを馬鹿にするでなく、私を馬鹿にする、それはブランドはよくても、私にとっては未だになじめないところのある、そして、もしかして必要なのはブランドではなく、確かな専門的知識なのかもしれません。そして、彼らが売っていたのは知識というよりは、感性だったのではないでしょうか?感性、それは芸術には大切だし、愛好する気持ちは必要かもしれませんが、それを職業にするほど感性が磨かれる環境だったのか?私には分かりません。
わがまま勝手にやったら、馬鹿にする事になるなら、やっぱ私は彼女のことを馬鹿にしているのでしょう。
そして、合わないのかもしれないなと思ったのも事実です。
そして、これはもう終わった話、これから先、どうしようかなと悩むのが今の私の仕事のようです。