実は心の筋すら頭に入っていない。
専攻は日本文学
そういっても、大して勉強していないのかもしれない。
しかし、エゴについて書かれていると一般に言われている作品、そして自我について何かしらの答えを論文として書いてみたかったのは本当だった。
エゴ、それはとても醜い感情だと思う。博愛とは程遠い感情。しかし、自己防衛の一種かもしれない。
人のものを奪う。それはたやすい行為だからかもしれない。
癌になり、診療費は支払うものの、高々3割り、そして償還の制度も整い、ココは博愛の場所なのか?そう思うこともある。しかし、年金をずっと支払ってきて、このまま、再度、発病すれば、60歳までは生きられないだろう。そういう際、やはり帳尻はあっているのかもしれないと思う。
会計の人が「二件です」と連絡しあっているのを見る際、なぜか、2軒ですといっているように思え、ちょっとぞっとしたように思う。
なぜか?オヤの持ち家とはいえ、土地を売る売らないだの、借金をしてマンションを建てるだの、根抵当だのという話が以前もちあがり、嫌な話を聴かされてきたからだ。
幼い頃から土地に執着してはいなかった。ただ、治療するための場所の病院で、やはり、今の医療では根治するのが難しい癌という病気と闘うのは、死が近いかもしれない、そう思うことも多くなってくる物なのかもしれない。
そんな時、事務員が家の取立人に見える?そんな時がある。
決して安いとはいえないがん治療費。その都度払っている私は、彼女達に負い目を感じる必要はないはずなのにね。
フリーターをしていた際、嫌な男と結婚する羽目になるかも?或いはホームレスになるかも?或いは孤独な老後?とか親の介護?とか嫌な思いは錯綜していて、夢なども描けなかったが、今もそれは変わりはないかもしれないが、たぶん、少し本当の意味でぎりぎりだったんだと誰もが納得できる理由で、休む事が出来た事には感謝こそすれ、負い目を感じる事はないかもしれない。そんな気分になれただけ、今は楽だろう。
親に何の根拠か分からないのだが、5万くらいからはじめれば?とかいきなり仕事の内容ではなく、給料の話を言われた。それは、やはり姉もそうだったのだが、九大卒のエリートからすれば、その程度の仕事しか出来ないだろうと威張りたいのかもしれない。しかし、仕事の質や内容、条件などを考えた際、5万の仕事がどういうものなのか、彼らには説明することも出来ない。漠然とした意識の問題なのだろう。とても無責任な言葉であり、何か深い配慮があるのかどうか?それもわからない。
確かに、最悪とはいえない今の状況は、人の言う事を聴いてきたところもあるが、結局は自分の判断だ。
そして、それに腹立ちを感じるなら、従う必要はないように思う。家族は雇用人でも雇用関係でもないものなのだから。そして、私の仕事は私にしか分からない物だし、決してエゴのない人など居ないといえる。だからこそ、漱石は読まれるのかもしれない。
しかし、私は他の作品のほうが心に残っている。漱石の評論は読んだように思うが。








